おくやみ 2012年12月27日17時02分

中村勘三郎さんへ松竹代表取締役社長・迫本淳一氏弔辞…「虚しさ悲しさは言葉になりません」


中村勘三郎さんへ松竹代表取締役社長・迫本淳一氏弔辞…「虚しさ悲しさは言葉になりません」

6人の弔辞で迫本淳一氏から弔辞が始まった

 歌舞伎俳優・中村勘三郎さん(享年57)の本葬が27日、東京・築地本願寺で営まれ、松竹の代表取締役社長・迫本淳一氏が最初に弔辞を読み上げた。

 ■迫本淳一氏弔辞
 中村勘三郎さんのご霊前に謹んでお別れの言葉を申し上げます。

 中村屋さん。あなたにこのような形でお別れすることになるとは、いまこうしてお別れの場に臨んでおりましてもいまだに信じることができません。言いようのない悔しさ、ただ、ただ、無念であります。

 一昨年の秋ごろから体の不調を訴えて、しばらく休んでいらっしゃったあなたは、大好きな松本で舞台復帰されました。何か以前より格調が増したように思いました。その後も、本調子でないといいながらも、6ヶ月に及ぶ平成中村座やご子息の中村勘九郎襲名披露興行の舞台に立たれたことを私たちの誰もが中村屋さんご一家の新たな門出と祝福しておりました。

 そのあなたが57歳という若さで、われわれの手の届かないところへ行ってしまう。これほどつらく、痛恨な別れを私たちは経験したことがありません。

 中村屋さんあなたは天才的な名優であった先代の中村屋さんのご長男として生まれ数え4歳のときに舞台を踏まれた時から歌舞伎にとって、いや演劇や映像といった垣根を越えた世界でさん然と輝く太陽のような方でした。

 中村勘九郎という名前を46年にわたって守り、これほど大きな名跡にされたことが、何よりあなたが太陽であったことの証であったと思います。

 そしてあなたは、観るものに幸せを与えるという俳優という使命に生きてこられました。あなたが天才的な子役と称えられた小さい時、青少年時代が今も懐かしく思えます。二十歳のときに初めて踊った鏡獅子はあなたの大切な財産となりました。敬愛するお祖父様やお父様の芸を、さらに多くの先輩達の芸を必死に追い求めて青春を謳歌されてました。

 最愛の奥様の好江さんと結ばれ、勘九郎くん、七之助くんという2人の後継者に恵まれました。32歳でお父様を亡くされましたが、岳父である中村芝翫さんは昨年まであなたを見守ってくださいました。あなたはいかなる困難もものともせずに、猛然と活躍の場を広げてゆかれました。

 歌舞伎はいつの時代でも古典の継承と新しい創造が両輪であります。23歳で初めてお父様達とアメリカ公演に参加したころから、古典の大役を1つずつ大切に演じるようになりました。お父様やお祖父様の当たり役を手がけられました。

 平成に入ってからのあなたは、まさに情熱の塊でした。現代に生きる歌舞伎を志して平成6年にシアターコクーンで初めての歌舞伎公演を行ったのでした。若者の街で歌舞伎をやりたいという夢をかなえると、新しい創造に命をかけていらっしゃいました。

 ベルリン公演で、われわれは舞台に関わるものも初日終演後のパーティーで、私はわれわれは舞台にかかわるものも、又ファンのみなさまも歌舞伎という一つの家族ですと紹介しましたが、あなたの行くところはいずこであろうと歌舞伎を愛する家族の輪が花開きました。

 平成中村座での古典の上演もあなたにとっては幸せな時間だったと思います。はからずも最後になってしまいましたが、5月の浅草での公演で江戸に生きているような嬉しそうな顔をしていらしゃいました。古典に新作に汗びっしょりになって世界を駆け抜けて行かれました。

 そんなあなたにとって、初孫の七緒八(なおや)くんが誕生したときは、なにか久しぶりに戦場から戻ったようなやすらぎのひとときだったような気がします。親子三代での舞台を踏めると大喜びだったというのがいまも私の脳裏に刻まれています。

 あなたは芸ということについて誰よりも自分に厳しかった。ご子息たちにその思いを伝え、家芸を伝えるためには尋常ではない思いをぶつけていらっしゃいました。それは奥様へも同じだと思います。

 しかし、どれほど厳しくともそこにご家族への言葉で現すことのできない程の深い愛情があふれていました。松本で復帰されたときその思いを私に言ってくださいました。まさに炎のようなあなたが、ご家族を慈しみこれから、先を思う優しいまなざしを、いましみじみと思い出しています。

 それゆえに、なによりも舞台が好きだった中村屋さんが新しい歌舞伎座の舞台に立つことなく、天に召されるということを、私たちの誰もがいまだに受け入れることができません。

 あなたのいない虚しさ、悲しさは言葉になりません。中村屋さん、これからもどうぞわれわれといらしてください。そして、いつまでも愛するご家族を見守ってあげてください。

 こらえきれない悲しみを乗り越えて、私たちは必ず立派な歌舞伎座と歌舞伎を作って参ります。ご冥福をお祈りし、お別れの言葉と致します。