スポーツ 2014年02月10日17時51分

村主章枝、母の言葉に家族の絆を再認識し感涙!「早く結婚して」には笑顔


村主章枝、母の言葉に家族の絆を再認識し感涙!「早く結婚して」には笑顔

母の思いやさまざまな思いがよみがえり涙を流す村主選手

 2002年のソルトレイクシティと2006年のトリノオリンピックのフィギュアスケート女子日本代表に選ばれた村主章枝選手(= Kappa、33)が22日、東京・味の素トレーニングセンターで行われた「JOC・P&Gファミリープロジェクト」に、母親の薫さんとともに登場した。P&Gの会員たちの前で母娘トークショーを行った。

 2014ソチ冬季オリンピック大会応援キャンペーン「ママの公式スポンサー」を行っているP&Gが、オリンピックスポンサー期間である2020年まで、公益社団法人日本オリンピック委員会(JOC)と協力して行われる共同プロジェクト。

 オリンピックを通じて日本中の家族がお互いを思い、その絆を深めていくきっかけになるような、さまざまな支援活動を展開していくが、その一環として、オリンピック選手とそのお母さんを支援するキャンペーンを全世界で展開中。

 今回、第3弾として、オリンピック選手の活躍を陰で支えてきた家族の絆をひも解くトークショーを実施。夢と成功への道のりを家族でどのように築き上げてきたのか。そこにある絆について語ってもらうというもの。

 村主選手は、パイロットの父親と元客室乗務員の母親という両親の長女として生まれた。父親の仕事の関係で、幼少期をアメリカのアラスカ州アンカレッジで過ごしたことがスケートを始めるきっかけとなった。

村主章枝、母の言葉に家族の絆を再認識し感涙!「早く結婚して」には笑顔

 村主選手は、「冬になると、近所の沼が凍って父が外遊びに付き合ってくれて、妹(=プロフィギュアスケーターでコーチの村主千香)と沼で滑っていた」と語り、薫さんは、「幼稚園でも小学校でも、マイナス12度でも外遊びをさせるんです。近所の小学校に天然の氷のリンクが外にありました」と、環境が大きく影響した。

 さらに村主選手からは、「母もアラスカならではで経験できること。鮭釣りとか自然と触れること。変わったことを体験させようと、頑張ったと思う」と、母親の積極的な後押しもあったという。

村主章枝、母の言葉に家族の絆を再認識し感涙!「早く結婚して」には笑顔

「なんでも体験させた」と、村主章枝選手の母・薫さん

 実際に、アスリートの母親は一般の母親よりも「体験させる、経験させること」を重視させるのが顕著にアンケート結果で出ている。P&Gが行った「アスリートを子どもに持つお母さん40人と一般のお母さん520人に聞く『子育て調査』」の中で、「知識や情報より体験することが大事」との問いに「YES」だったのは、「一般ママ」64.2%に対し、「アスリートママ」は92.5%という結果になった。

 村主選手が、小学校2年生の時に一家は帰国。その時、母親の薫さんは、村主選手にスケートを始めさせたという。その理由は、「子供は英語はすぐ忘れるというのがありましたから、身体で覚えたことだったら忘れないだろうと。アンカレッジにいたことを少しでもとっておけたらいいなぁ」との思いからだったと振り返った。

 その一方で、「勉強しないのであればスケートを止めてもらう」という両親の考えから、小学校から中学校2年生までは学校の方に時間とられ、1日1時間ぐらいしかスケートの練習はできなかった。

 学業とスケートを両立させたことについて薫さんは、「考える力が養われていくんじゃないかなと。私たちは両親ともスポーツで生きた人間ではないので、学校あってのスケートだからといいきかせた」と、教育方針を明かした。

村主章枝、母の言葉に家族の絆を再認識し感涙!「早く結婚して」には笑顔

「恥ずかしい試合をして意識が変わった」と村主選手。

 そんな環境の中、村主選手が中学校2年生の時に行われた『全日本ジュニア』の試合で失敗したことが転機となった。「初めて悔しいじゃなく恥ずかしいと思った。自分的にまずいなぁと。お金かかって迷惑かけているのに、改心しないといけない。心を入れ替えて一生懸命やり始めた」と、当時の心境を。

 薫さんも、「それまでは同じぐらいの選手たちとクラブ室で練習しないでワーワーしていた。お母さんは送り迎えを一生懸命してるのに『何なの!』というのはありました。でも、その大会で12番ぐらいだったのかな。それで変わった」と、振り返った。

 その当時の薫さんの1日の生活サイクルは、朝5時に起きて、自宅から車で15分の新横浜のスケートリンクへ姉妹を送り出し、朝7時に迎えに行き、大船にあった学校に朝8時過ぎに送り届ける。朝10時から午後2時までの間に、家事などをこなす。午後2時に学校まで迎えに行き、夕方から夜にかけて、2人の娘さんの練習時間が違うため、スケートリンク場と家を3往復していた。

 薫さんは、「自分の時間は全くなかった。章枝がスケートに向かう気持ちは純粋で、観ていて、これだからこそ私も一生懸命頑張らなくちゃという気持ちがありました」と、ハードスケジュールも、娘さんの頑張っている姿で乗り越えられたという。

 しかし、村主選手は16歳の時の『長野オリンピック』(1998年)出場を逃す。「自国開催のオリンピックに人生の中で当たることは本当にない。オリンピックを逃してしまったのを引きずって後悔しました。行かれなかった経験があったからこそ、初めて次のオリンピックは絶対行きたいとの思いが強くなった」と、悔しさをバネにした。

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メダルに届かなかった口惜しさが甦る

 薫さんは、「その時は『一生懸命やったんだから、しょうがなかったんじゃない』と、言いました。でも、時間が経つにつれて、彼女には(出場を逃したという思いが)覆いかぶさって。オリンピック開催の時は、聖火ランナーをやらなければいけなくて、『オリンピックなんかなければいいのに』と泣いていました。勉強なんか放っといて、スケートをしてもよかったかなという時もありました」と、母親としても後悔の念を口にする。

 それを聞いていた村主選手は、当時の口惜しさやさまざまな思いが蘇えってきたのか、ちょっと涙を浮かべつつ、「両立はムリだと思う。でも、人生の中で両立は絶対しないといけない。スケートと勉強じゃなくても誰もが持っている課題。子育てしながらお仕事する。仕事しながらスケートをする。比重の置き方が問題なんだと思います。あるときは、スケートを優先しないといけない。どちらかに比重が少なくなっても仕方ない。バランスをとってやっていくのが人生なのかな。両立は永遠の課題です」と、難しい問題について、いまの考えを口にする。

 それから4年後の2002年に行われた『ソルトレイクシティオリンピック』に20歳で初出場し、5位の成績だった。村主選手は、「4年間逃して長野からの思いがあったので、嬉しかったというより安堵の方が強かった。オリンピックに行ったときは、空気が透明でクリアで聖地みたいな感じでした」と、当時の心境を語った。

 薫さんは、オリンピック会場には応援に行っていないそうで、「(現地に)行って見れる心境じゃなかった。テレビの放送も見れない。他のことで気を紛らわせていて、下の娘から『お母さん大丈夫だったよ』といわれて、(録画していたビデオを)巻き戻してみた。ハラハラドキドキが強くて見れない」と、母としての心情を語る。

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アスリートは家族の支えがあることを忘れないで!

 さらに、2006年の『トリノオリンピック』に2大会連続出場。前回よりもひとつ順位を上げて4位入賞を果たした。

 このときも、現地に観に行けなかったという薫さん。「気の弱い母で、その会場に行って、ドキドキが通じちゃうんじゃないかと、行かなかった」と、母の思いを語った。それよりも最終選考の『全日本選手権』の時のことが思い出されるという。

 薫さんは、「『全日本選手権』の場に行って、演技が終わった時に、章枝が仰ぎ見て、『神様ありがとう』と、言ったのが伝わってきた。私も初めて涙しました。(オリンピックが終わったら)これでやめると思っていたから、本当に最後の最後に『良かったね』」と言うと、村主選手がすぐに引き継ぎ、「あれ?あれ?がいつまでも続いて・・・最近では、『お願いだから早くやめてほしいんだけど』と言われる」と、涙を浮かべながらも、泣くのをこらえるかのように、笑わせる。

 村主選手は、トリノオリンピック4位について、「自分の演技でできることはやりきって、これ以上できないというまでやりきったけど、台に乗るのと乗れないものは大きい差がある。その当時は何でなんだろうと、競技全てに対して疑問しか出てこなかった。怒りやいろんな思いが混じって、母に電話した」と、感情に任せたという。

 ところが、「競技が終わった後に電話すると、国際大会級ぐらいは、(母と)大げんかになるんです。それが、さすがにトリノの時は、『お疲れ様』しか言わなかった。母もなんて声かけたらいいかわからないというのがあったと思う」と、想像を超えた母親の対応があったという。

 その時の心境について薫さんは、「なんて声かけていいかわからなかった。演技を見てミスがなかったので(私も)『エッ』というのがあった。みなさん叱咤激励して育てるでしょうけど、私は叱咤叱咤で育てたから、要求が多かった。トリノの時には、エッと。『お疲れ様』しか声が出なかった」と、母としても悔しさを押し殺し、子供の労をねぎらったという。

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母親からは「結婚して」と言われる。

 その母の思いは娘にも十分通じていたようで、「普通なら、文句言うと思うけど、最後は我慢して言わなかったのがありがたかった。あそこで言われていたら、また、1人で大泣きしている。スケートすることで家族が一つになった。人生の中で財産」と、スケートや母親に感謝した。

 表現力の豊かさから「氷上の女優(アクトレス)」と称えられる村主選手は、今回のソチオリンピックでは出場を逃したが、現役続行を表明している。ソチ後の展望について問われると、「もちろん、一番になるために頑張るんですけど、スケートを通して人としてどういう風に生きていくか学べたからよかった。〝スケート道〟ではないですけど、学ばせていただいたので、競技する中で、スケートする姿勢で。小さい子供たちと接するときに、〝スケート道〟を伝えていけたら」と、さまざまに経験したことをスケートの技術だけではなく心も伝えていこうと語った。

 薫さんは、「章枝と一緒に歩んだ日々は私にも財産。20数年間は、いっぱい、ものを教えてくれた財産だなと。お母さまがたもいまは大変だろうけど、がばってやったら、老後に財産として残ると思ます。あとは、結婚してくださいね」と、村主選手を見やる。

 母の優しくも大きな愛にあふれた言葉に耳を傾けながら、さまざまな思い、感情が蘇えり、渦巻いたのか、大粒の涙を流す村主選手。

 このトークショーを通じて、村主選手は、「話す機会がないので、こういう機会をいただいて、感謝の気持ちいっぱいです。普段は文句を言いあってる感じ。お互いがどう思っているかわかってよかった」と、感謝の気持ちを述べた。

 薫さんも、「2人だけでは絶対言わないでしょうから、よかったです。いい機会を与えていただいた」と、感謝した。

 最後にあらためて、母親への感謝の言葉として、「長い間家族の力でここまでスケートを続けさせてもらったということが、今度は私が社会貢献じゃないですけど、スケート道を話し、たくさんの人に知ってもらうのが役目だと思います。至らないところはたくさんあるんですけど、叱咤叱咤でよろしくお願いします」と、述べた。

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母親へ感謝のツーショット似顔絵をプレゼント

 それに対して、薫さんは、「大きな夢を抱えていますが頑張ってください」と、静かに背中を押した。

 最後に、2人が写った肖像画が村主選手から母親の薫さんへ記念として手渡された。

 トークショーを終え、取材陣の質問に答えた、村主親子。アスリートにとって母親の存在を聞かれた村主選手は、「アスリートも若い時からスポーツに携わって、家族の支えなしに出来ない。資金面、生活のこと。若い時には当たり前のようにやってもらっていることが分からない。身近にある空気なような存在だけど、なくなってはいけない。家族は大切」と、力説。

 薫さんは、「私の場合は、スポーツ選手の母親ではなく、一般に近い母親。娘がやりたいということは一緒になってやってあげようと。努力しないと実らないは毎回言いました。高校生ぐらいになると分かってくる。そこからは自分で歩んでいく」と、人生の先輩として、母親として大局的に子供を導いていったようだ。

 そして、今後の親孝行は、「早く結婚すること」と、2人でハモる。

 また、6日に迫ったソチオリンピック。初日からフィギュアスケートの団体戦がある。見どころについて村主選手は、「今回のオリンピックがら団体戦導入されて、そこから始まるんですけど。それが面白い。どの選手を投入して来るか明かされていない。団体、シングルもやらないといけない。大変なスケジュール。いままでとは違った面白座出てくると思います」と、語った。

 そして、「男子も女子も昨年のグランプリシリーズで皆さんメダルに乗っているので、可能性大。プレッシャーあると思うんですけど、練習してきたことを一生懸命ソチの場で出せれば、いい色のメダルが取れると思います」と、太鼓判を押すほど期待を寄せた。

 

村主章枝、母の言葉に家族の絆を再認識し感涙!「早く結婚して」には笑顔


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村主選手がソルトレイクとトリノで実際に着た衣装

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「有意義な親子対談だった」と感想

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村主選手の母親・薫さん(左)と村主選手(右)

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